ホームニュース

2020/05/09豊かな自然次世代に

『いなべ市の植物』調査編集の加田さん

いなべ市が2006年から調査を始め、4月に刊行した『いなべ市の植物』。13年間にわたり調査、編集を担ってきたのが、日本植物分類学会会員の加田勝敏さん(77)=四日市市楠町南五味塚=です。中学生時代から藤原岳に通い詰め、いなべの自然を見続けてきたという加田さんに、自然環境の変化、環境保全への思いを聞きました。
―楠町の中学生がなぜ藤原岳に通うように
小学生のときから町内では植物好きの子どもとして知られていました。中学に入学した際、理科の先生が声を掛けてくれ、藤原岳で毎月開催されていた採集会を紹介してくれたのが始まりです。
―当時の藤原岳の様子、今と比べて植生の変化は
当時の尾根付近はススキ草原がほとんどで、冬にはスキーができた(※昭和6~45年まで藤原大スキー場が山頂にあった)。かつては季節の移り変わりとともに葉を落とす落葉広葉樹林だったが、今は一年中落葉しない常緑広葉樹林へと様変わりしました。日の光が入らなくなり『明るい山』から『暗い山』になったと感じます。
―その理由は
植林された常緑樹は手入れされずに放置され、大きく育ちすぎた。大きくなった木は水を多く吸い上げ地面を乾かします。日光も入らないため下草が枯れて裸地になる。どんどん植物の多様性が失われていった。『いなべ市の植物』に掲載したカセンソウ、ミツモトソウなど、かつては当たり前のように生えていましたが今は全く見られないですね。
昔は猟師によって制御されていた野生動物も今や増え放題です。開発ですみかを追われ、餌が無くて山野草を食い荒らす。近年は登山道が整備されたことで、気軽に登山が楽しめるようになった。団体客が増えて土が踏み固められ、種子や根茎は発芽できません。これら複合的な理由で山の姿が変わっていったということです。
―人と自然の関係はどうあるべきでしょう
若いころ地元の古老から、ススキ草原とササ草原は一定の間隔で交代すると教えられた。ただ昔とは自然環境を取り巻く状況が大きく変わった。自然の回復力だけに期待して、かつての多様性に富んだ山の姿を取り戻すのは難しいのではないでしょうか。
暮らしの発展と自然の豊かさは表裏一体ではある。個人的には昔のような景観が戻ってほしいと願いながら調査、執筆をしました。壊すのは簡単だが取り戻すのは難しい、ということは覚えておいてほしい。自分たちが恩恵を受けた自然を、できるだけ元の状態で次世代に渡すことが、今を生きる我々の責任だと思います。

かだ・かつとし 昭和17年6月、楠町(現四日市市楠町)生まれ。同36年に北勢電気鉄道(現三岐鉄道北勢線)入社、同41年退社。いくつかの職種を渡り歩く間、県内各地で環境調査や保全活動に携わる。定年後、三重環境保全事業団に勤務。平成元年、三重県文化奨励賞を受賞。

ヘッドラインへ