ホームニュース

2021/09/25東京五輪で送迎ボランティア

桑名 藤が丘小教諭児島さん
「世界に出て広い視野を」

 日本代表選手の活躍に湧いた東京2020オリンピック・パラリンピック。藤が丘小学校講師小島琢也さん(62)=桑名市大山田4=は7月22日から8月8日までの15日間、ボランティアとして五輪の運営に関わりました。コロナ禍での開催に賛否もあった中『スタッフとして見た五輪』について聞きました。
 ―どこの会場で、どんな活動をされましたか
 大会関係者、主にコーチや審判などを選手村から大会会場まで送迎する『移動サポート(運転手)』として活動しました。行き先は国立競技場、さいたまスーパーアリーナ、湘南の海まで、ありとあらゆる会場です。ちょっと変わった所では、バングラデシュの関係者から「お祈りの時間なので寺院に連れてって」というのもありました。
 ―応募のきっかけは
 本来の開催年2020年は、定年の年でした。節目の年に日本で五輪が開催される。巡り合わせと思い、ボランティアに応募しました。
 ―コロナ禍の影響は
 国立競技場の外では開催反対のデモが行われていて、ボランティアの行動にも厳しい目が向けられていると感じました。よく目立つ大会車両だったので(苦笑い)。心ない言葉を投げかけられたスタッフもいたと聞いています。もちろん「ご苦労さま」と言ってくれる方もあり、救われる気がしました。難しい大会であることが肌で感じられましたね。
 ―そんな中での活動はいかがでしたか
 最終的に数えたら16カ国の関係者を運びましたが、どの国であってもフレンドリーな人ばかり。会話は互いに片言の英語ですが、一日行動を共にすれば何が言いたいか大体分かるようになってきます。コロナ禍での五輪であってもポジティブ、前向きな人ばかりたっだのが印象的でした。スーダンの関係者が送迎ボランティアの詰め所に来て、日本語で「ありがとう」と言われたときは感激しました。後は、とにかく暑かった!
 ―とっておきの裏話があれば…
 ボランティアは、宿の確保、滞在費とも自分持ちです。宿を探し始めたころは部屋の空きはすでになく、あっても一泊2~6万円×15日間と高額でした。ところがコロナ禍で、ホテルはがら空き、宿泊費も暴落。結局マンスリーアパートを借りましたが、はっきり言って費用的にはかなり助かりました。
 ―ボランティアを経て、子どもたちに伝えたいことは
 ニュースなどで流れる外国人は悪いところが強調されがちです。当然ですが、どの国にも良い人も悪い人もいる。価値観の違いはあっても、一人一人と話せば分かり合えることはいっぱいあります。コロナ禍が収束したら日本から飛び出して、いろんな世界を見て聞いて、広い視野を身に付けてほしいですね。

ヘッドラインへ