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2022/02/1222/02/12 固い信頼 師弟の絆①

走り高跳びの衛藤さん(AGF鈴鹿)と舩越さん(鈴鹿高専)
競技の普及発展へ共に今後尽力

 スポーツ、文化などで活動する師匠と弟子に出会いや信頼構築の秘けつなどを聞く特集『師弟の絆』を連載します。1回目はリオ、東京五輪の男子走り高跳びに出場した衛藤昂さん(31)=AGF鈴鹿=と、高専時代から指導を担当した舩越一彦さん(57)=鈴鹿高専=に話を聞いてみました。
 ―競技や指導を始めたきっかけは
 衛藤(以降衛) 小3の時、実家の近くで全日本大学駅伝を見て、陸上クラブに入り長距離走を始めました。走り高跳びは6年の時に、市の大会で優勝したのが始まりです。
 舩越(以降舩) 中学時代に陸上部に入部し、上級生になって後輩の面倒を見ているうちに教えることの面白さを感じ始めたのがきっかけです。28歳まで現役を続けた間、年代別強化練習会などで指導する機会が何回かあり、短期間ではなく、時間をかけて選手を育ててみたいと強く思うようになりました。
 ―互いの印象は
 衛 小6のときに一度だけ、舩越先生の練習メニューをやった記憶があります。高専で指導を受け出してから科学的なトレーニングをされる方だなと感じました。他校の練習会で見たことがなかった内容で、一つ一つの練習に目的や意図があることを感じていました。
 舩 鈴鹿高専に合格した後、「春休みに部活動を見学させてほしい」と申し出があり、体験でウオーミングアップをさせたのが初めての出会いでした。「ひょろっとして細くて、スタイルはいいけど、筋力はあまりなさそうだなあ」というのが第一印象でした。
 ―心に残っている言葉や出来事は
 衛 高専1年の東海総体です。他県の上級生に圧倒され、最初の高さが跳べず「記録なし」でした。ふがいない試合内容に怒られると思って席に戻りましたが、「仕方ない、実力がないんだから。またここから頑張ればいい」と声を掛けてもらいました。以降、競技に取り組む姿勢が大きく変わり、競技を終えるまで15年間続きました。自分にとって原点といえる出来事です。
 舩 リオ五輪出場が懸かった日本選手権で、当時の参加標準記録の2㍍29を跳んで優勝を決めた瞬間です。跳躍に集中させるため、いつもと違う本人に一番近い所に座り、見えないプレッシャーと戦う衛藤を信じて見守りました。静かに助走をしていく姿を見ていたら、なぜか頭がボーッとなり静寂に包まれていきました。次の瞬間、見事な跳躍で2㍍29をクリア。いつも静かな衛藤が「やったー!」と叫びながら何度もガッツポーズをして近寄って来ました。それを見てハッとわれに返り、五輪出場をほぼ手中にしたのを実感できました。今思うと私も衛藤もゾーンに入っていた瞬間でした。この思い出が一番印象深く残っています。
 ―長年師弟関係が続く理由は
 衛 先生自体が走り高跳びの選手ではなかったのが良かったのかもしれません。高跳びに対する先入観がなく、「こうしなければいけない」がありませんでした。師弟共に、謙虚に競技に向き合ってこられたのが良かったとも思います。
 舩 米国の大学の練習を参考に、コーチ独自の練習法を選手に押し付けるのではなく、内容の科学的背景を選手に理解させ、相談しながら指導しました。本人の調子を聞きながら調整もしていたので、衛藤自身も自分のペースで練習できたと思います。独自のコンディション調整で大きなけがもなく、試合結果につながり、大きな大会で活躍できるようになっていったので長く続いたと思います。
 ―互いの今後にエールを送ってください
 衛 また1からオリンピアンを育てるのは大変だと思いますが、陸上競技の普及発展に尽力をされる思いますので応援しています。
 舩 競技一辺倒から今後は「ジャンプフェスティバル」の運営や後進の育成など、活動の幅が多岐にわたると思います。日本の陸上競技は強化育成の面で、欧米から見ればまだまだ遅れています。日本の既存の常識にとらわれずに衛藤しかできないことを進めていってほしいと思います。

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